占領軍は民主化政策の象徴として労働三法(労働組合法、労働基準法、労働関係調整法)の導入をはかった。 これに伴い労働運動の機運が高まり、労働組合が続々誕生した。
一九四○年代後半には労働組合の組織率は五○%を相当超えた数字であった。 一九九○年代後半の現代では組合組織率がわずか二○%強まで低落していることと比較すれば、圧倒的に高い数字であった。
労働組合の力が強いということは、労働者の権利が保障されたのみならず、賃金や労働条件決定において労働側の要求が強く影響力をもつことを意味するので、賃金分配に平等化の効果が作用したのである。 四税制改革次に、戦後の税制改革であるが、わが国はアメリカ人のS博士による勧告を出発点として、次のような税制の改革を行った。
まず、巨額の所得を得ていた一部の国民しか納税しない部分所得税から、国民の大多数が納税する一般所得税に変わった。 これも大衆民主化路線の一環といえる。

法人税の拡充も見逃せない。 所得税と法人税によるいわば直接税中心の税制を目指したのである。
所得税に関していえば、いわゆる総合所得課税が理想とされた。 この制度は、賃金所得や利子所得、その他いろいろな所得源泉を合計した総合所得に、一定の所得税率をかけて税を徴収するものである。
これに対して分離所得課税は、それぞれの所得源泉別に課税するものである。 所得税率は一般に累進制で、分離課税制度よりも総合課税制度の方が税率が高くなるので、所得再分配効果は強く働く。
「S税制」は総合課税を原則としたが、その後分離課税制度が中心になった。 「S税制」のもう一つの特色は、所得税率における累進制の強化によって、所得再分配効果の作用することを図った点である。
すなわち、高所得者には高い税率を、低所得者には低い税率をという考え方は、日本の税制を特徴づける顔の一つになって、今日まで続いている。 これも戦後の民主化路線の影響を受けているといえる。
高い累進制の見直しが最近起こっていることは後に述べる。 最後に、教育の機会均等政策について述べてみよう。
まず義務教育が九年に設定され、国民の平均教育水準が高まった。 さらに、高校、大学に関して、能力と意欲のある学生には進学の道が戦前よりはるかに開かれたといえる。
戦前では高等教育を受けることのできる人は、本人の能力と努力に加えて家庭の経済力が必要であったが、戦後の民主化路線は授業料負担の軽減化や教育環境の整備によって、経済力の影響を小さくしたのである。 高い教育を多くの人が受けられるようになったので、親の経済力と無関係に、高等教育を受けた人が高い地位の職業に就くことができるようになった。

経済力のある家庭の子女のみが高い地位と高所得を得る社会ではなくなり、この変化が日本社会の平等化に大きく貢献したことは特筆されてよい。 もう一つの重要な改革は、女性の教育機会均等が男性並みに与えられたことである。
戦前では女性の大学進学率は極端に低く、せいぜい高等師範学校どまりであったが、旧制帝国大学や新制大学にも女性の進学の道が開かれた。 戦後五○年を経過して、女性の高等教育就学率は増加し続け、今では短大を含めれば女性の大学進学率の方が男性よりも高くなった。
この効果は社会的にも、経済的にも大きい。 最後に、戦後男女共学制度が実現したことも大きな変革である。
戦前の女性の地位の低さは、男女別学制度も寄与していたと考えられるので、男女共学の意義は大きい。 敗戦後の日本は既に述べた諸改革の効果がうまく作用したこと、朝鮮戦争という突発事件による特需の経済波及効果、そして国民の努力と勤勉のおかげで、一九五○年代の半ばから世界に稀な高度成長期に入る。
一九七○年代初頭のオイル・ショックの時期までを一般に高度成長期と呼ぶ。 高度成長経済の発生メカ二ズムを議論することがこれの目的ではないので、それについては例えばN(一九七八)、K(一九八三)、Y(一九九七)を参照してほしい。
ごく大まかにその発生要因をまとめれば次のようになろう。 豊富な民間貯蓄を銀行を通して産業界に資金提供する制度的背景があった上に、企業はその資金を用いて積極的に投資活動を行い、しかも外国からの技術導入も含めて技術進歩率の高さにもめざましいものがあった。
当然のことながら豊富な労働力があったし、労働者の勤労意欲も非常に高かった。 これらの諸要因の相乗効果によって、企業の生産力が高まったのであるが、作られた製品は旺盛な国内消費と、比較的安い円レートの利益を受けて海外への大量輸出に向かったのである。
これとの関係でいえば、高度成長による結果の方が興味深い。 高度成長を経験したことにより、わが国にはどのようなことが社会・経済に起こったのであろうか。
まず第一に、就業構造の変化が大きい。 高度成長をもたらした主要産業は製造業である。
以前には多くの人が農林水産業や小売業に従事していたが、その人達が都市部を中心にした工場やオフィスで働くようになった。 工場労働者の増加である。
同じくホワイト・カラー労働者の比率も上昇した。 これらは雇用労働者の増加を意味している。

第二は、就業構造の変化に伴って人口の地域間移動が発生した。 農村部から都市部への人口大移動が高度成長期に起こり、東京や大阪をはじめとする大都会に住む人の数が多くなったのである。
都市部と地方部の人達の間の所得格差が発生し始めたのもこの時期である。 第三は、人口大移動に関連することであるが、都市部のサラリーマンの増加は、家計における核家族化をもたらした。
農村部に住む老親と、都市部に住む現役労働者の子供と孫が別居する、という図式が核家族化である。 一家計当たりの人数の減少を意味したのである。
第四に、高度成長によって生産性の伸びが著しい非農業(特に製造業や一部のサービス業)の賃金の成長率が高く、農業所得の伸びを上まわった。 これによって非農業従事者と農業・商業従事者の間の所得格差が拡大した。
しかし農業・商業従事者の数が大きく減少したので、総体的には所得は平等傾向に向かったといえる。 以上四つの変化が所得分配に与えた効果は大きい。

その効果を論じる前に、所得分配の実態として何が起こったかを数字で簡単に確かめてみよう。 一九三○〜四○年代のジ二係数○・四〜○・六のレベルから、一九六○〜七○年代の○・三のレベルにまで下落している。
戦後急激に所得分配が平等化したことがわかる。 その理由については、戦後の諸改革のところで詳しく述べたのでここではふれない。
ただし、一九五○年代から六○年代にかけて所得分配がやや不平等化したことが示されている。 その原因については溝口(一九八六)に詳しく述べられている。
全世帯と農家を除いた世帯の双方について、所得分配の格差の変化を示したものである。 一九五○年代から六○年代にかけて、所得格差が拡大したことがわかる。
これは高度成長期の初期に製造業に従事した人が増加し、かつその人達の賃金の伸び率が高かったからである。 既に述べた影響のうち、第一と第四の効果の反映を数字で確認できるのである。
高度成長の絶頂期であった一九六○年代はどうであろうか。 この平等化を説明する要因としては次のことが考えられる。

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